友人の薦めで読んだ

『短歌はプロに訊け!』の歌人の一人、東直子さんの日記がはてなにあることに気がつく。
わぁいわぁい。

「さようなら窓さようならポチ買い物に行けてうれしかったことなど」の短歌で、どれだけ救われたことか。そしてこの短歌を何人の友人に紹介したことか。の割に歌集は買っていない。すみません。

アンテナに登録。なんだか、作家さんの隣の家に引っ越したような、不思議な距離感。

『泣き虫弱虫諸葛孔明』(酒見賢一)

泣き虫弱虫諸葛孔明

を引き続き読み始めた。昨年末に読み始めたのだが、帰省にあいまって一旦置いていたものを再度読み始めた。一旦置いたものを読み始めるのは、最初に読み始めるときよりも、エネルギーが必要になる。
酒見賢一の小説は好きでよく読んでいるのだが*1、この小説はエッセイっぽい口調で、諸葛孔明の人間味あふれる一面を書いている。
諸葛孔明というえば鬼謀奇策の天才としてスマートに語られることが多いが、この作中の諸葛孔明はひどくだらしない*2
しかし、またそれも面白い。
文章で残っている諸葛孔明は、きっとずっとスマートに書かれているのだろう。それは、「文」を操る機会がめったになく、後世に残る事が強く想定されたため、人々が良い格好をしたがったからではないか?と思ったり。

ぼくは、たまに生きる事に閉塞管を感じるれど、それは「立派であらねばらなない」という先代・先達からの無言のプレッシャーに息詰まりを感じているからなのかもしれない。立派、と言われ続けている人も人で、こういう一面があると分かるとほっとするというか。

ただ、これは生きる事を舐めたり手を抜いたりすることとは違う。光のさすほうへ一生懸命歩いてるんだからさ、それを偶像と比べる事は辞めなよ、という自分自身への自戒。

ねじまき鳥クロニクル』(村上春樹)の最終章の手紙で出てくるアヒルのヒトのように、まじめに生きているけれどひょっとこけてしまう、そのこける姿に、ちょっとあこがれる。

*1:読みきっていないのは『陋巷に在り』シリーズだけかな?先日文庫で完結したから、一気読みしようとたくらんでいる

*2:そして突っ込みどころ満載だ。時々、作者の突っ込みが入るのだが、これも面白い。諸葛孔明の難解な漢詩を「わけわからん」と断じるくだりとか

『波のうえの魔術師』(石田衣良)読了。

第三部の語り口が、「現在から見た過去の物語(当時は……、ってやつ)」になってほっとする。ぼくは、登場人物に自分を重ねてこれからどうなるのかというスリルを楽しむよりも、結論は分かってそこまでの過程を楽しむほうに重点を置いているのだろう。
そんなわけで、第三部の2/3まで読んだあたりで、結末をちょっと先に読んでしまった。辛抱が足りない?けど、それでも十分楽しめた。

年賀状の返信が

ぽつぽつ届く。今年はたくさん書いたものな。
しかし、「あんたそりゃ忙しいだろう」と誰からも認められている人ほど、年賀状が丁寧で詳しいコメントが入っているのはどういうわけだ。
忙しい人ほど仕事が丁寧、はぼくの中では勝ち組の法則と呼ぶ*1。つまり、好循環ってこと。

たとえば、SMAP の番組内の料理シーンを見てて、「料理の腕も上がるし、たくさんの人とも合えるし、やりがいもあるだろうし、金にもなるし(このへんがいやらしい?)、そんなに成長されては勝てないじゃないか(もしもし?)」と思ったり。

しかし考えて見ると、それって普通に仕事してるってことでは。他人の芝生がなんと青々としていることよ。精進精進。

*1:それって世間的にそうなのかもしれないけどさ

『波のうえの魔術師』(石田衣良)

を読んでいる。

波のうえの魔術師 (文春文庫)

パチプロで、「でも、この先どうするかねぇ」という青年がふと声をかけられた老人の導きで、投資をはじめる話。

株取引を入り口にして、融資にまつわる話が始まったところ。

バブルが始まったのが1985年のプラザ合意、はじけたのが1990年?政府、銀行の話でぼくには関係がない、という高みの見物、対岸の火事だったんだけど、それは無事にこうしているから言える事なんだな、と感謝する。