『蟲師(5)』(漆原友紀)

(講談社)[★★★★★] ASIN:4063143619
蟲師 (5)  (アフタヌーンKC)

作中の時間の流れがゆるやかであることに改めて気がつく。

物語は、どれも主人公というか案内役ギンコが不思議なことに遭遇する事から始まり、どの物語も最後は「そして、その後……」という流れで終わる。

どうしようもなかった衝突が少しずつ時間とともにほどけていったり、失って二度とぬぐえないと確信に近く思えたものが緩む。その時間の流れの贅沢さは随一。

冒頭で書かれる、「もいちど 私を生んでおくれ また会いたいのだ また この美しい海を 見たいのだ」に象徴されるように、これは世界賛歌の物語だ。

僕は、日々に追われて「忙しい」を繰り返すうちに、「もう一度この世界を見たい」と思わなくなっている気がする。それはとても緩やかな死への心の準備なのだろうか?

でも、それは理屈。ホントは、もっといろいろなものに、出会いつづけたい。すこし時間がかかるとしても。

『ソウルドロップの幽体研究』上遠野 浩平

(詳伝社ノン・ノベル)[★★★★☆] ASIN:4396207859

連作シリーズ第一巻になるのだろう。
というのも、実際のところまだ何も始まっていないから。
主要登場人物になるであろう、怪盗あるいは殺し屋、天才歌手、権力者、保険調査員は登場したが、すれ違い、入れ違い、掛け違いっているうちに本書は終わる。

結局のところ、現実とは違う法則が支配している世界が背景として描かれてい「違和感」は「違っている」けれど「間違っている」レベルまでいっていないから、問題として立ち上がってきていない。

キャラクタ紹介のような一冊であるが、それでも本書が面白いのは、書かれている内容と分量が一致していることだろう。難しすぎず易しすぎず、明確すぎず曖昧すぎず。

あと、呪いについては、受け取る側の意志の問題かな、と思う。
呪いにかかりたいってどこかで思っているのではないだろうか。それはコントロールできない領域の感情だろうか?

それにしても、上遠野のあとがきはおもしろいなぁ。。。

『おおきく振りかぶって(2)』ひぐちアサ

(アフタヌーンKC)[★★★★★] ASIN:4063143538
おおきく振りかぶって (2)

本を買うことは「時間を買う」ことにつながる。
結果を手に入れる場合もあるけれど、「その雰囲気」「その感覚」を手に入れることが主眼になる。

僕が取材・資料・調査を重要視する理由は、「その世界に何年いたのか」「その世界のことをどれだけ考え続けたのか」のひとつの評価尺度になるから。

本書は、心情描写が主ではあるものの「なぜ4,5,6番をクリーンナップと言うか」「ミットを見るのはコールの前、なのはなぜか」など、細かな記述がすてき。高校野球っていいなぁ。

『まっすぐ天へ』的場 健

(イブニングKC)[★★★★☆] ASIN:4063520625

軌道エレベータが15年後に現実に?」というニュースが読んで見るきっかけ。

構想もおもしろいけれど、技術の焦点の移り変わりがより面白い。
僕は情報(ソフト)開発の専門家なんだけど、これって、あるていど「ハード」
が安定してから活躍する話だなぁとしみじみ。

時間が経てば技術的な問題は、きっとなんとかなる。けれど、(国際的)政治的問題はどうなのか。こうすればうまくゆく手順(定石)って、この業界にはあるんだろうか?。
僕が思うに、どう交渉するかではなく、何をどこまでやりたいのか、それはなぜ行うのかをもう一段詰めるという作業がひとつ。現在勢力の保守派に対するメリットを示すことがひとつ。成功したときの褒賞、失敗したときの補償の話がひとつ。

おぉ、人生論みたいだ。

面白かったけど、本書はいいところで終わりすぎ(第一部完)。
第二部再開はあるのだろうか?

『空の境界(上・下)』奈須きのこ

(講談社ノベルス)[★★★☆☆] ASIN:4061823612ASIN:4061823620
空の境界 上 (講談社ノベルス) 空の境界 下 (講談社ノベルス)

ちぐはぐな印象を受けた。
人の生死などの出来事に対する、キャラクタの心の動きの記述が、なんだか薄っぺらい。
理屈として間違っていないけど、「本当にそう思ったの?」とずっと感じ続ける。

ひとことでいえば、「総論と各論を取り違えてはいけない」ということか。

「敵だから倒さなくちゃいけない」と言葉にするけれど、自分がそう思っていないことに自分で気づいているのに無視しているすわりの悪さを感じる。この物語の主人公がどれも哀しいのは、それに気がついたときに、まず怒涛のようにつらい事がやってくるから、目をそらそうとしているからだろう。
ライオンに追いかけられたダチョウは地面に穴を掘って頭を突っ込むという。目を逸らしてもライオンはいなくならないけれど、それでも逃げ続けるという苦しみだけからは解放される……ということだろうか? それは望んだものなのだろうか?

連作短編集としての独立性を保たせるためか、各編の冒頭で自己紹介が入るのが気になった。
一節ごとに視点が移動するのは、個人的にはあまり良くなかったと思う。黒桐から見た両儀両儀自身の人物像は乖離しているはずなのに、同じ筆致・同じ尺度の上で書かれている。その結果、性格の多面性が失われたのは惜しい。

黒桐の調査能力が高い事は、かれが実はゴトーワードを操れるということかと思ったのだが?